• SPECIAL INTERVIEW

プレーも地域も「ありがとう」の循環から
-地元ボランティアと選手の
二人三脚が生んだ思わぬ産物-

FC東京&
FC東京・スポーツボランティア

PROFILE

吉田 英樹さん(左)久保田 淳さん(右)

吉田 英樹(よしだ ひでき)

1964年、東京都渋谷区出身。会社員。
小学校から始めたサッカーを現在も続け地元のサッカー競技の発展に努めながら2001年に有志と共に「FC東京・スポーツボランティア」を立ち上げ、2012年より代表を務める。ボランティアのモットーは「楽しもう!」

久保田 淳(くぼた じゅん)

1969年、東京都北区出身。筑波大学でプレーした後、卒業後は都市銀行に勤務。
その後、大学院に戻ってスポーツ経営学を学び、2001年よりFC東京に加入。
ホームタウン活動の推進、街づくり、地域活性化を担い、さらにはサッカースクールの運営をはじめとした普及活動にも従事。
現在、普及部・社会連携推進部を取りまとめる地域コミュニティ本部長として活躍中。

PROFILE

矢島 輝一選手(左)児玉 剛選手(右)

矢島 輝一(やじま きいち)

1995年、東京都八王子市出身。
FC東京アカデミー出身。2013年U-18日本代表。中央大学では、JFA・Jリーグ特別指定選手となる。
2018年にFC東京に加入し、主にポジションはフォワード。
FC東京の選手会長として先頭に立ち、東日本大震災での復興支援などのボランティア活動の中心となっている。

児玉 剛(こだま つよし)

1987年、大阪府出身。京都パープルサンガユースを経て関西大学では、JFA・Jリーグ特別指定選手。愛媛FC、モンテディオ山形を経て、2019年にFC東京に加入。ポジションはゴールキーパー。選手会小児病院訪問などのボランティアにも積極的にかかわる。

首都・東京に根ざしたサッカー・Jリーグの「FC東京」。2019年は最後まで優勝を争った。そんなチームの「縁の下の力持ち」として、チーム創設以来、20年近く並走してきたのが「FC東京・スポーツボランティア(スポボラ)」だ。10代から70代の幅広い年代の方々が、ホームゲームの運営を支えている。一方の選手側も、ボランティアに「支えられる側」から「支える側」に回り、「ありがとう」の循環が広がっている。両者が大切にするボランティア・マインドが生んだ産物とは?
※2020年1月、「FC東京・市民スポーツボランティア」から改称

“先輩”ボランティアと
会話する楽しみ

全周をぐるりと屋根で覆われ、約5万人を収容できる味の素スタジアム(通称“味スタ”)が、FC東京の本拠地だ。東京都の多摩地域と23区部のちょうど境目の調布市にある。Jリーグのシーズン中は、この地に大勢の観客が訪れる。

観客に先んじて、ボランティアに参加する人の列が出来る。「FC東京・スポーツボランティア(スポボラ)」のメンバーたちだ。小金井市に住む主婦、松尾美奈子さんは、常連の一人。6年前からスポボラへの参加を始め、最初は、
「お手伝いで会場に入ると、サッカーがタダで観戦できてラッキー!」
ぐらいの軽い動機だった。それが今では、ボランティアの活動日は、味スタで開催する「J1リーグ」も、若手が中心の「J3リーグ」も、両方に「5年間連続で皆勤」を達成するほどハマった。

松尾さんが新入りだった頃に出会った“先輩” ボランティアもまた、毎年皆勤していた。
「“先輩”と会話する楽しみもあり、真似して毎回参加するようになったんです」
と打ち明ける。

スポボラの担い手の多くが地元住民なのだが、千葉県野田市から片道2時間半かけて通ってくる人もいる。文教大学大学院生の渡部啓亮さんだ。大学の学部生の頃から、災害支援や、マラソン大会の運営サポートなど、さまざまなボランティアを経験してきたが、FC東京のスポボラにはことのほか魅力を感じるという。渡部さんは活動を始めて、もう4年目になる。

「片道で2時間半だと、小旅行みたいですよね(笑)。距離を超えてでも参加したいと思わせる魅力があるんです」

10代から70代まで多彩な担い手

活動内容は多岐に渡る。試合開始前に観客を座席に案内したり、持ち込みが禁止されている缶やビンの飲み物を紙コップに移し替えたり、試合後にスタンドのゴミ拾いをしたり。また、選手と手をつないで入場するエスコートキッズ(FC東京では「ハンドウィズハンド」と呼ばれる)という子どもたちのサポートや、車椅子の人の移動サポートもスポボラのメンバーが担う。現在、スポボラには10代後半から70代まで約350人が登録している。一試合あたり平均して70人ほどが活動している。従来は説明会に参加して活動に加わる人が多かったが、最近ではスポボラの活動が口コミで知られるようになり、ネット経由で申し込んでくる人が飛躍的に増えた。

スポボラの活動のスタートは、東京スタジアム(現・味の素スタジアム)のこけら落としでもあった、2001年3月10日の開幕戦にまでさかのぼる。団体の創設から関わってきた代表の吉田英樹さんは、このスタジアムが建設中に、FC東京のホームになると決まった頃から有志で話し合いを始めていたという。

「最初は5万人規模のスタジアムが出来るというので、府中、三鷹、調布の3市のサッカー関係者や地元住民が集まって、『地元の人は何が出来るか?』と。『市民が関わるのなら、ボランティア活動がいいね』ということで今のような組織になっていったんです」

FC東京・スポーツボランティアの特徴は、クラブから独立した自主運営の組織であることだと吉田さんは言う。

「ボランティアに必要なのは、主体性、自主性、社会性、無償性、創造性などと、いろいろ言われるでしょう? その中でも、私たちは主体性と自主性を大事にしています。シンプルに言うと、『言われたことを、そのままやらない』。多くの活動は自分たちの提案から生まれたものです。クラブ側から提案されて、とりあえずやってみることもあるんだけれど、基本、『これなら続けられるね』っていう活動しか残していません」

PROFILE

吉田 英樹さん(左)久保田 淳さん(右)

吉田 英樹(よしだ ひでき)

1964年、東京都渋谷区出身。会社員。
小学校から始めたサッカーを現在も続け地元のサッカー競技の発展に努めながら2001年に有志と共に「FC東京・スポーツボランティア」を立ち上げ、2012年より代表を務める。ボランティアのモットーは「楽しもう!」

久保田 淳(くぼた じゅん)

1969年、東京都北区出身。筑波大学でプレーした後、卒業後は都市銀行に勤務。
その後、大学院に戻ってスポーツ経営学を学び、2001年よりFC東京に加入。
ホームタウン活動の推進、街づくり、地域活性化を担い、さらにはサッカースクールの運営をはじめとした普及活動にも従事。
現在、普及部・社会連携推進部を取りまとめる地域コミュニティ本部長として活躍中。

「ポツンとする人」をつくらない

実はJリーグ56クラブ全部にボランティア組織があるのだが(2020年3月現在)、クラブの直轄だったり、後援会が運営していたりするところが多い。そんななか、
「FC東京のスポボラのように地元の有志で、独立して活動を続けているところは意外と少ないんですよ」
と吉田さん。

クラブとの垣根が低く、クラブ側に「聞く耳」を持ってもらえたということが大きいという。

「嫌な作業をずっとやるだけだと、みんな疲弊して長くは続かない。だから私たちは、スポボラの活動を始めた当初から、会議でクラブ側に本音をぶつけていきました。ボランティアに参加した人が入り口になって、その家族だったり、地域の人みんながクラブをいい風に認知したら、スタジアムに足を運んでくれる人が増えるかもしれない。『自分たちはそういうハブの役割も担っていきたいんだ』と」

例えば、スポボラ発足当初から続けられてきた「紙コップへの移し替え」は、今でも人気の高い活動だ。観客が持ち込んだ飲み物は、紙コップに移し替えるよう促す。紙コップを手渡し、観客自身に注いでもらう。その間に「今日、勝つといいね」「どこから来たの?」などと、たくさんの会話が交わされる。空き缶や瓶を回収してスタジアムにゴミを出さない環境整備を目的としているが、さらにボランティアにとっては、観客とのコミュニケーションの機会にもなっている。

冒頭の松尾さんにとって、「紙コップへの移し替え」で印象深いのは、毎年、夏の夜のゲームで繰り広げられる光景だ。平日の仕事帰りに駆け込んできた観客が、抱えてきた缶ビールをプシュッと開けて、慌てて紙コップへ移し替える。すると泡が噴き出して、「おっとっと」。一気に場が和む。そんな時、松尾さんは「お仕事で走ってきたから、しょうがないですよね」などと声をかける。泡が落ち着くまで待つ間、かえって会話が弾むのだという。

松尾さんは今では、担当するボランティアのサブリーダーとして、新たに入ってくるメンバーの活動を支える役割も担う。例えばポツンと一人で参加しているボランティアを見つけたら、すかさずその人のそばに行き、「こんにちは、暑いですね」などと話しかけるようにしている。知っている選手の話をしたり、雑談をしたりしているうちに相手が徐々に活動の場に馴染んでいくのがわかるそうだ。

「もともとここのスポボラには、優しく迎え入れてくれる古株の方たちがたくさんいました。私自身、ポツンと一人で参加し始めて、話しかけられて馴染んでいきましたから。今は自分が楽しみながらその役割をやっています。逆に新しく入ってきた若い人に、パソコンの操作方法を教わったり、刺激を受けたりすることも多いですよ」

FC東京の久保田淳・地域コミュニティ本部長は、「縁の下の力持ち」として20年近く並走しているスポボラの存在は、FC東京のクラブ側、選手側にとって大きな励みとなっていると言う。

「FC東京というクラブが誕生したから、市民ボランティアの活動が立ち上がり、スポボラが組織された。すごい熱意を持続したまま、今ではスポボラの活動を越える形で、一つのコミュニティにまで成長している。このコミュニティも、クラブ創設がきっかけで新たに生まれた産物。FC東京の歴史の中で、一番自慢したい成果物だと思いますね」

ボランティアに「支えられる側」から「支える側」へ

FC東京のフォワードとして活躍する矢島輝一選手は、直接スポボラと触れ合う機会は多くはないものの、感謝の気持ちは常に胸に置いていると話す。

「僕は加入した初年度、2018年の新人研修で、試合前のスタジアムの“イス拭き”から、スポボラの皆さんと一緒に活動した経験があります。その時感じたのが、ありがたい存在だなということ。試合開始の3時間も前から会場に入って1つの試合に向けて準備するっていう光景を実際に見たんで。今、ピッチでプレーしていても、より明確にその人たちの姿が頭に浮かびます」

いつも環境整備に徹してくれているスポボラへの感謝の気持ちは、ピッチ上で返す。かたや、自分たちが社会連携活動に出かけていけば、「ありがとう」の言葉をたくさんもらう。するとまた、リフレッシュした気持ちでピッチに立てる——。FC東京には、そんな「ありがとう」の循環が生まれていると矢島選手は話す。FC東京の選手たちは、ボランティアに「支えられる側」にとどまることなく、積極的に「支える側」にもまわっているのだ。

選手らがプレーの傍ら独自に続けてきた社会連携活動には、大きく分けて「子どもたちの未来につながる活動」と「障害者スポーツの支援」と2つの柱がある。昨年は、被災地での復興支援活動、もしくは小児病院への訪問活動のどちらかにFC東京の全選手(怪我の選手を除く)が参加した。「選手会」の活動の一環だ。

矢島選手は現在、選手会の会長を務めている。2019年9月、8人の選手たちと東日本大震災の被災地にある、福島県富岡町立富岡第一小学校・第二小学校を訪問した。震災に伴って発生した大津波や、東京電力福島第一原子力発電所の事故による被害などで、今も復興の途上にある地域の学校だ。避難指示の解除から日も浅く、高学年の子どもがほとんどいない。体力を持て余す子どもたちのために「いっしょに目一杯動いて、思いっきり汗を流す」ことを、選手たちのミッションとした。

子どもたちが喜ぶ仕掛けも考えた。その一つが、波多野豪選手と林彰洋選手、2人のゴールキーパーによる、「パントキック」という華麗な“蹴り”の披露だ。ボールを両手で持った状態から、思い切り、力の限り蹴り上げる。ボールが上空高く、長い飛距離をポーンと飛ぶ様に、子どもたちは「ワァーッ!」と沸いた。矢島選手は言う。

「狙い通り子どもたちから大きな反響があって。僕と福島出身の髙萩洋次郎選手とで、『プロの選手はこんなに飛ぶんだぞ』っていうところを見せようと、密かに企んでいたんですよ」

子どもたちはすっかり打ち解け、給食の時間になると、選手との会話が弾んだ。
矢島選手は子どもたちの笑顔とともに、現地で見た光景が忘れられないという。

「震災から9年近くの月日が経っているのに、海沿いの道のガードレールの向こう側は瓦礫の山がそのまま残っていて、まだ全然復興しきれていないところがあるんだなと。僕らが普段、何事もなくサッカーをプレーできているありがたみを、より強く感じました」

ゴールキーパーとして昨年、FC東京へ移籍してきた児玉剛選手が手を挙げたのは、都立小児総合医療センターへの訪問活動だった。選手10人が様々な病気や怪我で入院している子どもたちを訪ね、プレゼントを渡したり、サインや記念撮影を行った。

児玉選手が触れ合ったのは、心の病気を抱えた子どもたち。

「デリケートな子たちが多いと思い、その子たちにできるだけ寄り添って一人ひとりの子に向けて少しでも元気が出るような言葉を考えて、いっしょに楽しもうという気持ちで触れ合いました」

そこで得た気づきは、「自分は健康で、周りに家族がいて、サッカーが当たり前のようにできているけれど、本当はそれが当たり前じゃないんだ」ということ。さらに、いろんな境遇の子どもたちと直に触れ合う中、病院で長時間子どもに付き添う親御さんたちからも刺激を受けたという。児玉選手はこう振り返る。

「そこで出会った親御さんたちは、長い時間病院で過ごしているだろうし、苦労もいろいろあるんだと思う。それなのに、すごい笑顔で僕たちに接してくれた。本当にマインドが強い人たちだなと。僕たちは子どもたちとかいろんな方たちに夢を与えられる仕事に就けてる。それを誇りに思って、もっともっと努力しなきゃいけないと、この訪問を通じて感じました」

PROFILE

矢島 輝一選手(左)児玉 剛選手(右)

矢島 輝一(やじま きいち)

1995年、東京都八王子市出身。FC東京アカデミー出身。2013年U-18日本代表。中央大学では、JFA・Jリーグ特別指定選手となる。
2018年にFC東京に加入し、主にポジションはフォワード。
FC東京の選手会長として先頭に立ち、東日本大震災での復興支援などのボランティア活動の中心となっている。

児玉 剛(こだま つよし)

1987年、大阪府出身。
京都パープルサンガユースを経て関西大学では、JFA・Jリーグ特別指定選手。愛媛FC、モンテディオ山形を経て、2019年にFC東京に加入。
ポジションはゴールキーパー。選手会小児病院訪問などのボランティアにも積極的にかかわる。

選手たちの「人間的な成長」も促す

もちろん、こうした選手の活動は、ピッチ上のプレーを犠牲にするものであってはならない。だからこそ矢島選手は、選手会長として「活動を最後までやり遂げられるか」と焦った時期がある。昨年秋、「味スタ」でのラグビーワールドカップ開催の影響でアウェイ8連戦という、多忙を極めたスケジュールが組まれていたからだ。その上、優勝争いがもつれ込めば、選手たちが精神的にも余裕がなくなる……。そこで、矢島選手がチームの先輩選手に「(ボランティア)活動を休む期間を設けるべきでしょうか?」と相談すると、気負うことなく、こんな答えが返ってきた。

「いやいや、そういうタイミングでも、その時々に行ける選手が行こうよ」

先輩の前向きな言葉に励まされ、矢島選手は肩の力が抜けたという。

「プロサッカー選手として、やっぱり、『ピッチで100%の力で取り組む』とか『勝ちにこだわる』っていうところは当たり前。でも、それ以外の部分でやれること、プロサッカー選手だからこそやれることって、たくさんあると思う。これからも、試合に影響のない範囲で率先して行動したいですし、選手会長としてクラブに提案して、よりFC東京の魅力を知ってもらえるような活動をどんどんしていきたいなと思っています」

もともと、FC東京の社会連携活動は、地元の商店街のお祭りに顔を出すところから始まった。最近では、復興や病気、障害といった社会課題をテーマとする、「より深く地域に根差した活動」へと舵を切る。その理由について、前出の久保田本部長はこう語る。

「クラブとしては危機感があるんですよ。このまま、平均2万6千人前後がスタジアムに足を運ぶクラブというところで満足していてよいのかと。多くの人にクラブをより身近に感じてもらうためには、共通の社会課題にもいっしょに取り組んで、地元コミュニティと直につながる必要があるなと、数年前から切実に感じるようになりました。そうした体験の一つ一つが、選手たちの『人間的な成長』にもつながっていくんじゃないかと私は考えています」

FC東京(正式名称:東京フットボールクラブ株式会社)
創立:1998年10月1日
代表取締役社長:大金 直樹
住所:東京都調布市下石原1-2-3 TSOビル
URL:https://www.fctokyo.co.jp


FC東京・スポーツボランティア
代表:吉田 英樹
URL:https://www.fctokyo.gr.jp/

MESSAGE 「できることから始めよう!」F.C.Tokyo 矢島輝一 「良い人間が良いサッカーをする!!」F.C.Tokyo 児玉剛
MESSAGE 「できることから始めよう!」F.C.Tokyo 矢島輝一
MESSAGE 「良い人間が良いサッカーをする!!」F.C.Tokyo 児玉剛