子どもの頃のワクワク感
仕事につなげた
システムエンジニア
藤川 結季さん
インタビュー:古川遥

プロフィール・略歴

藤川結季(ふじかわ・ゆうき)
1978年生まれ。現在はITサービス会社DSB情報システムでシステムエンジニア(SE)を務めるとともに、社員教育など人材開発にも携わる。大学卒業後、新卒で入った会社でSEとしての経験を積んだ後、2009年に現在の会社へ転職。

このインタビューは学生記者の古川遥が担当しました。

現在の仕事について

成果が見えづらくても
やりがい感じる

オフィスの入り口で笑顔を見せる藤川さん

新卒で入った会社ではSE(システムエンジニア)として働いていましたが、現在の会社では人材開発7割、研究開発3割で仕事をしています。人材開発に関わるようになったのは、2015年6月から。社員向けの勉強会の企画や、SE向け国家資格の取得の推進をしています。

人材開発はすぐに結果の出ない地道な活動の積み重ねで、成果はなかなか見えづらいものです。でも、1年後、2年後に成長した姿を見られることにやりがいを感じています。

もう一つの研究開発の方は、2018年10月に着任しました。AIに関する研究で、しかも、触ったことのないクラウド環境と言語。SEとして仕事をすること自体久しぶりでしたから、当初は勉強することが多すぎて、とてもじゃないけどついていけないと思いました。なんとか繁忙期を乗り切って、今はデータ分析をちょこちょこする程度になっています。

今の仕事に就いたきっかけ

子どもの頃から
パソコンが好きで

専門知識を教えている藤川さん(左)

小学生の頃、児童センターのパソコンコーナーに行っては、簡単なコマンドを打ち込んで画面上にいろいろな模様を描く遊びをしていました。自宅にパソコンがなく、まだインターネットも普及していない時代でしたから、中高生になると近所の喫茶店でネットに触れていました。

大学の授業でプログラミングを経験したときに、子どもの頃に感じていたあのワクワク感を思い出し、就職活動はSEに絞って行いました。私が学生だった頃は、ちょうど就職氷河期。会社を選べる立場ではなく、SEの仕事ができる会社にどうにか滑り込みました。

SEの仕事は、プログラムを作って、最終的にはクライアントの要望を聞き出してシステムを設計するステージまで成長していくのが一般的なフロー。入社した会社ではまさにイメージ通りの仕事ができました。

その後、転職することになったのは、会社がリーマンショックの影響で倒産したからです。当時は第2子の出産も控えていたので、仕事の内容よりも社風や仕事と子育ての両立のしやすさを重視して転職先を決めました。

これまでの人生の山と谷

就職して5年間
激務でも充実

新卒で入社してからの5年間は、熾烈(しれつ)なプロジェクトにアサインされて本当に大変でしたが、エンジニアとして仕事をしていくためのコアなスキルが身についた大切な時期であり、日々成長を感じることができる刺激的で楽しい時間でした。

この頃は技術革新に“ついていく”という感覚はなく、いつも新しい技術のリリースを心待ちにしていました。今の時代では許されない残業量でしたが、ここで5年間プログラム開発に没頭できたことは、非常に良い経験だったと思います。この時期のスキルを応用することで、今日までエンジニアを続けてこられたと言っても過言ではないです。

今も、好調といえば好調です。子どもの手が離れてまた仕事にアクセルを踏むことができるようになりましたし、仕事とプライベートのバランスも自分でコントロールできるようになってきたので。

これは、5年前に人材開発の部署で良い上司に巡り会えたことが大きいです。組織をよりよくするにはどうしたらいいかという話から、仕事と家事育児のがんばりどころの振り分け方の話まで、さまざまなことを話す中で、私の視野を広げてくれました。

一番プレッシャーがかかったのは、2018年秋にAIの研究開発のプロジェクトにアサインされたことです。育児で前線から離れていた時期も長く、開発のブランクもあったので戸惑いました。

なんとなく予感はしていたんです。夏にディープラーニング(※)の研修の参加者に指名されて、3ヶ月間みっちり勉強させられていたので……。そのときも、夜な夜な数学の勉強をやり直すはめになって、修了まで相当苦労しました。

AIの研究開発を2年間みっちりやっているうちに気がついたのですが、AIという最先端の技術も結局、私が社会人になって5年で身につけたコアスキルと地続きだったんです。こうした実感は、今後人材開発の方でも生かしていけるのではないかと考えています。

※ディープラーニング:深層学習。人間のような深い学びの過程をAIに備えさせること。

これから目指すこと

不安でもチャレンジ
道が開ける

自分にとってプラスになりそうだけど経験のない仕事や、おもしろそうだけど難しい仕事のオファーがきたときは、どんなに不安でもチャレンジするようにしています。「チャンスが回ってきたということは、自分にはそれがこなせる可能性があるからだ」と捉えてがんばってみると、案外できてしまうものです。

これまでも、チャレンジした案件の実績が呼び水となり、新たなオファーが舞い込んで道が開けたことが何度もありました。充実したキャリアを築いていくためにも、この先も同じ姿勢でありたいと思います。

オフの過ごし方+生活と仕事の両立

趣味のマラソン
ストレス解消

マラソン中の藤川さん

最近の趣味はマラソンです。始めてから3年が経ち、タイムは伸びないながらも、ある程度の距離が走れるようになりました。走っていると、仕事のストレスからも解放されて気持ちがいいです。今はテレワークで週の半分以上は在宅勤務をしているので、家で夫や3人の子どもたちと過ごす時間も昔よりとれるようになりました。

第1子の育休明けの2006年から2016年までの間は、ずっと大変でした。子どもがいると突発的に休まなくてはいけなくなる場合もあるので、「明日がある」とは思わずに極力タスクを消化してから帰宅する毎日でしたから。

周囲や上司のフォローのおかげでなんとかやっていましたが、あの頃に今のような働き方ができたら良かったなぁと思います。

若者へのメッセージ

好奇心を広く
それが活躍の種になる

人材開発メンバーと藤川さん(左から2人目)

若い頃の私はキャリアデザインについて考えたこともなく、社会人5年目で育児のフェーズに入りました。子どもを産んだことに何の後悔もありませんが、産むタイミングについてはもう少し深く検討すべきだったかなと思います。というのも、周りのママ友はみんな、仕事との兼ね合いを考えて、早くから出産時期を検討していたからです。

キャリアをある程度積んでから産むのか、体力がある若いうちに産んでからキャリアを積むのか。どちらを選ぶのも自由ですが、若いうちから自分のキャリアについて考える時間を持ち、人生をイメージしておくのは大切です。

ただ、若い頃に考えたキャリアデザインは絶対のものではありません。年を重ねるにつれ、考えも状況も変わってくるので、キャリア選択もその都度柔軟に行うといいと思います。

若いうちから視野を広く持ち、凝り固まらずにいろんなものに好奇心を持ってください。それが、社会人になってから学生のときには想像できなかったような活躍をするための種になるかもしれないので。