失敗を恐れぬ行動力で
前掛けを宇宙にも届けたい
前掛け専門店代表
西村和弘さん
インタビュー:内山嶺
西村和弘インタビュー
西村和弘プロフィール

プロフィール・略歴

西村和弘(にしむら・かずひろ)
1973年生まれ。食品メーカーで5年間経験を積んだ後、日本文化を海外へ発信するため独立開業。漢字Tシャツの企画販売を経て、日本で最後の前掛けの産地、愛知県豊橋に出会い、日本で唯一の前掛け専門店エニシングをオープン。和の心、日本のモノづくりを世界に発信し、次の世代へつなげることを使命とし活動している。

このインタビューは学生記者の内山嶺が担当しました。

現在の仕事について

経営者の仕事は作業ではなく
企業の意思決定をすること

西村和弘写真1

有限会社エニシングは日本唯一の前掛け専門店として、前掛けの企画・製造・販売を行っています。「前掛け」とは、例えば酒屋さんや八百屋さんが腰に巻いている仕事着をイメージしてもらうと分かりやすいでしょうか。私は代表取締役社長を務めており、現在の仕事内容を一言で表すなら「決断」です。企業としてこれから何をしていき、何をしないかを判断します。

また当社では、新規顧客との商談も私が担当しています。まずは相手の方が当社に求めることを伺い、それをもとにお引き受けするかどうかを判断します。場合によってはお断りするケースもありますが、その基準は「仕事の内容が、自分たちにしかできないことか」という点です。私たちならではの知識やノウハウ、技術を活かせるお仕事を中心にお引き受けしています。

やりがいを感じるのは、面白いことに本気で取り組んでいる方と出会った瞬間です。エニシングという会社名には「人と人が出会うことで何かが生まれる=縁(えにし)」という思いを込めており、私も従業員も人と会うということに手を抜きません。直接顔をあわせて五感で感じられることはたくさんあるので、電話やメールで済ませず、新幹線や飛行機の距離でも会いに行きます。その中で本気で仕事をしている人と出会った時、面白さを感じます。

今の仕事に就いたきっかけ

持ち前の行動力を活かし
日本文化を広めるため独立

西村和弘写真2
小学生時代の西村さん

私は広島市出身で原爆ドームのすぐ近くで育ったため、幼いころから観光客の外国人の方が身近な存在でした。また、行動力のある子どもだったので、小学生の時は生徒会長をやっていました。ある時、「学校のやり方がおかしい!」とどうしても納得できないことがあり、抗議のつもりで仲間と学校を抜け出して丸一日家に帰らなかったという思い出があります(笑)。まさかの、警察も出動する大騒ぎとなり、父には殴られる覚悟でした。しかし「自分なりの考えがあってやったことならいい」と怒られなかったことを今でもよく覚えています。こうした、グローバルな街で育ったことによる外国人との距離感の近さと思い立ったらすぐに実行する行動力は、現在の仕事でも活かされています。

高校時代にホームステイを経験。大学入学後には受験を乗り越えた安堵感からか一時的に無気力になることもありましたが、大学3年の時にアメリカ留学を経験、この再びの「海外」での経験が学生時代のモチベーションを支えてきました。留学中、衝撃的な出来事が起こりました。ある授業の終わりに、外国人のクラスメイトに「なぜ授業中、一言も喋らないのか。君は日本人として、この議題にどう思うかを話す義務がある」と激しく怒られました。日本では考えられないことです。この経験から、「海外を相手にするのであれば、自分の主張をどんどん発信していかなくてはならない」ことを学びました。

就職活動では、将来的には海外と関わる仕事をしたいという思いがあったことと実家がパン屋だったため、「食」が身近な存在だったことがきっかけで、海外展開をしている某有名食品メーカーに入社。営業職のなかでも最も忙しい部署に配属されました。その会社では、値下げをして商品を売りさばく方法ではなく、お客様に自社の商品を魅力的に感じてもらえるよう、商品を磨いたり広告に力を入れたりして売り上げを伸ばす方法をとっていました。現在、その経験から当社でも、単に安く売るのではなく、知恵を絞って商品を売るようにしています。

入社当時から「とことん勉強して、5年で独立する!」と周りに宣言していました。営業職として多様なスキルを身に着け、有言実行で5年後に独立。留学時代から感じていた「日本の文化を世界に広めたい」という思いを実現するため、漢字のプリントTシャツの販売を始め、当社を設立しました。

食品メーカーに勤務していた頃の西村和弘
食品メーカーに勤務していた頃の西村さん


これまでの人生の山と谷

前掛けとの出会いと
工場建設による重圧

起業当時の西村和弘
起業当時の西村さん

独立したものの全く上手くいかず、どん底からのスタートでした。会社員時代に貯めた開業資金はあっという間に底をつきました。それでも、どうせならこの状況を楽しもうという気持ちで、テレビ番組の企画になぞらえて1日100円での生活にチャレンジしました。自宅から事務所まで3時間かけて歩いて通勤。発注がないためほとんど仕事という仕事もなく、また3時間かけて自宅に帰っていく状態でした。

流れが変わったのは、会社設立から4年経ったある時、前掛けの大量発注が入ったことでした。当時、無地のTシャツや帽子、バッグなどに漢字や和柄をプリントした商品を数種類扱っていた中に、たまたま「前掛け」があっただけで、前掛けに強いこだわりがあったわけではありませんでした。当然それほど在庫も抱えていない状況でした。そこに、関西の酒蔵や関東の飲食関係の卸売業組合から、なんと同時期に100枚と200枚という大型の注文が入りました。先様は前掛けを注文しようとしても取り扱っている業者がなく、インターネットで当社のホームページにたどり着いたそうです。注文を受けてから、あちこちの問屋を駆け回り、なんとか納品することができました。

この時、このような場当たり的な対応では商売にならないと思い、前掛けを作っているところを訪ねようとしたのですが、問屋の誰に聞いても産地がわかりません。そこで日本中の商工会議所に連絡し、やっと豊橋で作っていることをつきとめました。

すぐに足を運び、職人の方にこれまで取り扱ってきた前掛けを見せると、「これ全部ウチで作ったものだよ」と。これは当然のことで、そもそも前掛けの産地はここ以外他にありません。やっと前掛けを作っている場所を見つけたと思ったら、職人たちは「前掛けなんてもう古くて時代に合わないので、我々はもう仕事をたたもうと思う。君もわざわざ前掛けなんて扱わない方がいい」と言われてしまいました。

これは一見ピンチのように見えますが、「製品はすごくいいものだし、他にやっている人がいないなら、自分たちでやったら面白いのでは」とひらめき、その日のうちに前掛け専門店としてやっていくことを決めました。

そこからしばらくの間、国内で商売を続けましたが、売り上げは伸び悩みました。そこで思い切って、ニューヨークでの営業を決意。これは、もともと「日本のいいものを世界に広めたい」と思っていたこと、そして海外で評価されれば日本での需要も生まれると考えたことが理由です。

海外で営業活動をする西村和弘
海外での営業活動

事前に人気の日本食レストラン15店舗を調べて、そのレストランのロゴを入れた前掛けを作り、飛び込み営業をしました。結果、このやり方がヒットしました。自分たちのロゴの入った前掛けは新鮮に映ったようで好意的に受け入れてもらえたのです。これがきっかけで現地とのつながりができ、NYの大手食品商社との取引が生まれ、海外進出の足掛かりになりました。

そこから経営も好調だったのですが、今から3年前に、これからの「MAEKAKE」の展開を見据え、豊橋に新工場を建設することに決めました。日本における繊維産業はかなり不況で、申請の際には役所の方に「繊維業で建築確認申請が出されたのは、55年ぶり」と言われました。しかも330坪の土地を買って工場を建てる大プロジェクトで、融資も大きな金額になります。これまでのキャリアで感じたことのない地獄のようなプレッシャーを味わいました。

ただ、このような苦労を味わう経験は、滅多にできないことです。また、「この現代に前掛けを製造するための新工場が誕生した」という点に話題性があったのか、マスコミに数多く取り上げていただき、知名度が大幅にアップ。すでに引退した高齢の前掛け職人さんたちがこのニュースを目にし、続々と当社を訪れ、各自が培ってきた技術を無償で伝承してくださるという思わぬ展開も生まれました。さらに新工場には、以前の工場にはなかった、研究・開発用の機材やスペースを設けることができたため、会社全体の技術力が格段に向上しました。こうしたことから、今ではこれはこれで良かったと思っています。

新工場設立時の西村和弘
豊橋の新工場設立時


西村和弘の人生の山と谷パソコン版 西村和弘の人生の山と谷スマホ版

これから目指すこと

海外での前掛けの定着と
宇宙進出を目指して

海外の展示会での西村和弘
海外の展示会にて

今後、パリに拠点を作りたいと思っています。すでにニューヨークやロンドンなどに顧客を持ち各国の展示会にも出展していますが、ヨーロッパで前掛けを広めるならパリを拠点とするのが最適だと感じています。

2021年10月に公開された海外映画『007』シリーズに当社の前掛けが登場するなど、グローバル展開においても少しずつ成果は出せていますが、拠点を持つことで飛躍的に広げていけると考えています。外国の方にとってSUSHIやWASABIが日常的な言葉になっているのと同じように、MAEKAKEという言葉も定着させることが目標です。

そのためにも、まずは前掛けの需要というものを国内外でしっかり作っていきます。よく「日本の伝統工芸の作り手が減っている」と言いますが、これは正確には「需要が小さくなっているから、作り手が減っている」ということです。新しい需要を生み出して価値を高めれば、継続することができます。だから前掛けの需要と価値を高めて、世界中に顧客を作り需要を創出していきたいです。

人生をかけたビジョンとしては、私が生きている間、世の中にどんなものを残せるかということを常に考えています。日本だけにとどまらず、もっと世界に打って出たいですし、いつか宇宙にも前掛けが売れるんじゃないかと本気で考えています(笑)。

オフの過ごし方+生活と仕事の両立

休日に自然と触れ合うことと
相談相手がいることが大切

経営者という立場はプレッシャーが大きく心を病むことも多いため、休日を作ることは大切です。疲れたときには自然の中を歩いたり寺社仏閣を訪れたりすることで、気持ちをリセットします。

仕事をしていて大変なことも多いですが、やり抜きたいという意地があるためモチベーションは下がりません。また、周りに相談できる仲間やサポートしてくれる人がいることも大切です。私の場合は、独立の直前にあるTシャツ制作工房の社長と出会い、独立したいと話すと、大量の資料をいただけたうえに毎週現場で技術を学ぶ機会を作ってくれました。

また、工場建設のために多額の融資を受け、プレッシャーで押しつぶされそうになった時、以前からお世話になっていた繊維業の先輩社長に相談しました。その際、「本当にやりたいことは、借り入れしてでもやらないといけない」と背中を押してもらいました。そこから自分の使命というものを感じるようになり、今ではどんなことがあっても怖いものなどありません。こうした仲間の存在は、経営者にとって重要です。

    

若者へのメッセージ

失敗を恐れず挑戦してこそ
やりたいことに出会える

西村和弘写真8

「あの時やっておけばよかった」という後悔をしないようにしてください。失敗を恐れて何もしない人もいますが、何でも「勉強になった」と思えば、それは失敗ではなく学びです。また、やりたいことが見つからないという方も多いですが、私自身「前掛け屋になろう」と思ったことはありません。何か磨けば光るものを探しているときに、たまたま豊橋で出会っただけです。

ただ、独立して色々なことにチャレンジしていたからこそ、前掛けと出会った時に「これだ」と感じることができました。だから今すぐにやりたいことがなくても、頑張りたいと思えるものを見つけるために、常に行動しておくことが大切だと思います。