「向いていない」を跳ねのけ
 自分の生きる道を発見
ワークウェアブランド代表
中村有沙さん
インタビュー:紀洲彩希、樋本岳
中村有沙インタビュー
中村有沙プロフィール

プロフィール・略歴

中村有沙(なかむら・ありさ)
1986年生まれ。新卒で水道工事業を手がけるオアシスソリューションに入社。営業職として4年間活躍後、人事部を立ち上げる。採用難の解決と現場のイメージ改革を目指し、作業着のリニューアルプロジェクトを担当したことがきっかけで、スーツに見える作業着「ワークウェアスーツ」を考案。2017年オアシススタイルウェアの設立時に代表取締役に就任。

このインタビューは学生記者の紀洲彩希、樋本岳が担当しました。

現在の仕事について

仕事を楽しめる環境作りや
広報活動など幅広く活躍

製品開発ミーティングの中村有沙
製品開発のためのミーティングに臨む中村さん(中央)

ワークウェアブランドの株式会社オアシススタイルウェアにて、代表取締役を務めています。当社はワークウェアスーツという新しいアパレルアイテムの、開発・販売を行っています。ワークウェアスーツは世界初の「スーツ型作業着」で、スーツのようなフォーマルな見た目でありながら、従来の作業着と同じくらい動きやすい点が特徴です。

社内での私の担当業務は、各部署における業務計画の達成状況を見ながら次の方針を打ち出すことや、メディアなどの取材を受け、会社や製品を知ってもらうための広報を行うことなど多岐にわたります。また、新規のプロジェクトについては、代表である私自身がゼロから勉強しながら関わることもあります。

仕事をしていて一番嬉しいのは、ユーザーから「仕事では、もうこの服しか着られない」といった声をいただくときです。もっと喜んでもらうために頑張ろうと、モチベーションが上がります。

経営者として、従業員が仕事を楽しめる環境を作ることにもやりがいを感じます。私自身は毎日の仕事を楽しんでいますし、一緒に働く仲間にも楽しく仕事をしてほしいと思っています。今はコロナ禍のために有効活用できていませんが、社員同士のコミュニケーションを促進するために社内にキッチンなどを設けて、終業後にたこ焼きパーティーなどの親睦会を開催したりしていました。また、子供を持つ社員が増えてきたこともあり、フレックスタイムや在宅勤務などを組み合わせたワークライフバランスを実現させる働き方を推進しています。仕事のパフォーマンスは環境によって変わるので、しっかりサポートしていきたいと考えています。



今の仕事に就いたきっかけ

新卒採用のために開発した
世界初の「スーツ型作業着」

スーツ型作業着を語る中村有沙
スーツ型作業着について語る中村さん

私が就職した水道工事業界には「技術職の若い世代が非常に少なく、平均年齢も高い」という課題があり、私が入社した会社も若い技術者の採用に苦労していました。そこで、入社6年目に当時在籍していた人事部で、技術職の新卒採用に向け、自分たちの会社ならではの売りとしてアピールできることは何かないかということを検討することになりました。採用のための広告掲載などをいろいろと試すうちに気づいたのが、広告の写真を一枚変えるだけで応募や問い合わせの数が大きく変わるということでした。企業としての「第一印象」の重要性をこのとき発見しました。

私が入社した会社は、社長が当時30代で、社風としても若い空気に満ちていました。その「若さ」を新卒者の目に留めてもらうためにも、まず見た目の「第一印象」から古いイメージを払拭するべく作業着リニューアルプロジェクトを開始。スタイリッシュなルックスの作業着を目指す中で、技術職の方が「営業の人はスーツだから、仕事の後にそのままデートに行けていいな」と話しているのを聞き、「ワークウェアスーツ」というアイデアがひらめきました。

見た目を改善するだけでなく作業着としての機能性を保つために、ストレッチが効いて動きやすく、丸洗いでき、なおかつ洗濯後のシワが残りにくい「形態安定」機能を備えた服を目指しました。あらゆる生地を取り寄せて試行錯誤したものの理想的なものはなく、最終的には繊維工場に直接掛け合って既存の生地にアレンジを加えたオリジナル生地を開発し、製品化にこぎつけました。

初めのうちは社内での活用しか考えていなかったのですが、思いがけず多くの方からの注目を集めました。取引先の大手マンション管理会社から「マンションの管理員の制服にしたい」というご依頼をいただき、これがきっかけで、他事業者さんからのご依頼が増え、次第にワークウェアスーツの事業が大きくなりました。この事業が会社から独立するかたちで2017年12月にオアシススタイルウェアを設立。プロジェクトの責任者だった私がそのまま代表取締役を務めることになりました。入社7年目のことでした。



これまでの人生の山と谷

どん底の時期も乗り越えて
社長に直談判し人事部を設立

大学時代の中村有沙
大学時代の中村さん(左から3人目)

幼少期は内向的で、目立つタイプではありませんでした。中学・高校時代は、将来に向けて思い描いていた職業は特になかったのですが、部活動での経験を通じて「企業」や「組織」というものに興味を持つようになりました。「学校のクラブ活動で十数人をまとめるのも大変なのに、大企業では何千・何万というたくさんの人をまとめて一つの目標に取り組んでいる。どうやっているのだろう?」と感じ、自動車業界の経営論の本を読んだこともありました。そういう思いもあって、大学では経済学部経営学科に進みました。

大学在学中、ある経営者の方の話を聞く機会があり、「新しい会社や新しいサービスをゼロから作り出すことは、これまで困っていた人たちを助けることになる。それは世の中をより良くしていくことにつながる」という言葉に感銘を受け、ベンチャー企業に興味を持ちました。そのため、就活では最初にIT系やエンタメ系などのベンチャー企業を中心に情報収集をしましたが、次第にもっと生活に密着した事業を営んでいる企業で働きたいと考えるようになりました。そのうちの一つとして、水道工事業という生活インフラを支える堅実な業種でありながら、新しい取り組みにもチャレンジしていた株式会社オアシスソリューションに魅力を感じました。

当時は働くことを通じて自分の性格をもっと外向的にしたいと思っていました。営業職であれば、色々な人と接してお話を聞いたりプレゼンしたりすることが仕事なので、きっと自分を変えられるチャンスになると思い、就活ではベンチャーの営業職をメインに回りました。しかし、面接で「あなたにはバックオフィス(社内事務)の方が向いている」と言われ続け、かなり落ち込みました。

そんな中でもオアシスソリューションから内定をいただきました。何が内定のポイントだったのか? どのような選考基準で選んでいるのか社長に聞いてみたところ、「熱い、賢い、気持ちいい」という三原則であるとの答えが返ってきたのを覚えています。「こういう仕事がしたい」という熱い気持ち、成長のために学び続けられる能力としての賢さ、そして人と気持ちよくコミュニケーションが取れるかどうか、その三点が基準になっていると。私自身は面接で、「自分の暗い気質を変えていきたい」ということと、「新規事業を作って、世の中に喜んでもらえるようなサービスを作りたい」ということを答えました。これらが評価してもらえたのかな、と思っています。

入社後、憧れの営業職としてキャリアをスタートしたものの、同期が次々と頭角を現すなかで、私は思ったように成果を出せませんでした。それでも諦めず、先輩だけでなく同期の商談に同行して様々な対人コミュニケーションスキルを研究するなどコツコツと努力を続けました。最初はとにかく実績を上げている人の真似をすることを徹底しました。例えばプレゼンなら、営業成績の良い先輩からその現場を録音した音源をいただき、話す順番やリズム、声の抑揚までも全く同じになるように何度も練習しました。まず「型」を作ろうと思ったのです。その型ができると、だんだん余裕も生まれて、相手の反応に気を配れるようにもなり、次第に自分のオリジナルな営業スタイルが出来上がっていきました。その結果、全国で年間営業成績No.1を獲得。入社2年目に埼玉エリアで新拠点が立ち上がることになり、その責任者に抜擢されました。

当初は新しい環境にわくわくしていたのですが、思った通りに仕事が進められず、実力不足を実感しました。また、知らない土地に引っ越したため友達もおらず、気持ちもどん底に。そこで経験豊富な上司に相談したところ、「もっと社内の人間を頼れ。会社全体でチームなのだから、困る段階より前に相談してほしい」というアドバイスをいただきました。当時は「自分が責任者なのだから全部自分で解決しないと」と思い詰めていたのですが、そのアドバイスに基づき、上司との定期的な相談の機会をいただけたおかげで、なんとか自分を建て直すことができました。

営業職時代の中村有沙
営業職時代の中村さん

入社5年目に入ると会社のこともよく見えるようになってきました。当時、会社は社員数が100人に満たない規模で、「人事部」はなく、総務部が採用などを片手間に兼任しているような状態でしたので、人事面の課題もたくさんありました。新卒で入社した社員が数年で退職したり、統一的な研修制度がないために配属先の上司の教え方によって成長スピードが左右されてしまったり。評価制度もありませんでした。そういった状況を目にして、「採用や研修、評価制度など一気通貫で担当した方がよい」と考えるようになりました。そこで、社長に直談判し、新しく人事部を設立するに至りました。内向的だった私がここまで動けるようになるなんて、自分でも驚きですが、営業である程度の成果を出せたことが自信につながったのだと思います。もう一つは、普段から社長のほうから気軽に話しかけてくれる社風で、社員の側からも提案をしやすい雰囲気があったことも大きかったと思います。

人事部は新設した部署のため先輩がおらず、すべてゼロからの出発です。そこで営業部時代に培ったコミュニケーション力を活かし、色々な企業の人事部の方にアポを取りました。そこで、どんなことをすべきか、何を目指すべきかなど幅広くお話を伺い、具体的な業務を構築し取り組んでいきました。その結果、採用活動にも注力でき、それまでにはなかった研修制度や評価制度を新設することもできました。また、年間の優秀者を表彰するイベントもゼロから企画し、立ち上げることもできました。

これまでのキャリアを振り返ると、仕事に対する根本的な考え方は変わっていません。どんな時でも、学ぶことで前進してきました。営業職時代は同期・先輩関係なく技術を学ばせてもらい、人事部時代も多くの方にお話を聞きに行きました。まず人から学び、自分の中でかみ砕いて実際に取り組み、また学ぶというサイクルを楽しんで仕事をしています。これからも「学びは身を助ける」というモットーを大切にしていきたいです。

中村有沙の人生の山と谷パソコン版 中村有沙の人生の山と谷スマホ版


これから目指すこと

ワークウェアスーツを
様々な現場で気軽に活用

ワークウェアスーツは現在、ビジネスパーソンを筆頭に建設業など様々な業界で活用いただいています。今後はもっとターゲットを広げていきたいと思っています。特に注目しているのが、学校の制服です。制服は学期ごとにしか洗わないことも多く、あまり衛生的とは言えません。

そこで、ワークウェアスーツの技術を活かし、簡単に洗えて清潔な状態を保てるだけでなく、ストレッチが効いて子供の成長を妨げない制服を広めていきたいと考えています。すでにインターナショナルスクールなどで導入いただいており、今後はもっと多くの学校で活用していただきたいです。

その他、会社の代表としてその人にあった仕事ができる環境作りにも取り組んでいきたいと思っています。誰しもやりたいこととそうでないこと、向き不向きがあります。だからこそ、「この人にはずっと営業だけをやってもらう」と決めるのではなく、興味関心や個性にあわせた仕事を用意し続けたいです。



オフの過ごし方+生活と仕事の両立

仕事と子育ての両立のため
メリハリをつけ効率を高める

中村有沙写真5

休みの日は主に、家族と過ごしています。現在2歳の子供がいますが、子供が生まれる前は、24時間365日すべてが自分の時間でした。しかし今では、体感としては、仕事に費やせる時間は半分になりました。子供の保育園お迎えのため、基本的には定時退社をしなければなりません。そんな中で仕事と生活を両立させるためには、家族の協力体制も不可欠です。一番大切にしているのは、夫と密にコミュニケーションを取るということ。我が家は私と夫と子供の3人家族で、他に頼れる人はいません。私と夫の2人で日々の生活をやりくりしていくために、仕事の忙しさなどの状況に応じて「今日は僕がやるよ」というふうに、お互いの家事やお迎えなどの分担を柔軟に変動させています。そのためにも夫婦間で密に会話をしていくことが何よりも大切だと感じています。

また、オフの日と仕事をする日のメリハリをつけて、限られた時間で効率よく仕事を進めることも重要です。私の場合は、子供に何かあって仕事にかかれない時間帯が生じることもあるので、業務のかなりの部分を各部門の責任者に任せ、自分一人で多くの作業量を抱えることがないように気をつけています。ここでも「人に任せる」ことの大切さを感じています。また、社員からのちょっとした連絡や確認などはLINEを活用することでスピーディーに済ませられるようになりました。

女性はキャリアと妊娠・出産の両立が課題になりますが、事前に準備を整えることが大切だと思います。妊娠してから出産までは半年以上の時間があり、異動や退職に比べると余裕があるものです。その間に、今後についてしっかり準備していくと良いと思います。私は、会社設立後3年目に出産を経験しました。約1年間の育休期間中に会社は過去最高の売り上げを達成。「なんだ、私がいなくてもいいんだ」とも思いましたが(笑)、ただ、これは産休に入るまでに「人に任せる」準備をしていたことが実を結んだということでもあるので、その意味でもとても喜ばしいことだと思っています。



    

若者へのメッセージ

なりたい自分になるために
できることに全力で取り組む

中村有沙写真6

人は、いつでも変われます。私はもともと人と話すのが苦手で、就活中は「営業に向いていない」と言われ続けました。それでも自分を変えるために、色々な人から対人スキルを学んで自分なりのやり方を見つけていったことで、営業職で結果を出し、今では多くの取材に応じたり、社外の方とコミュニケーションをとったりしています。人がどう評価するかよりも、自分が何をしたいかを大切にしてください。

もちろん、苦手なことに向かって一歩踏み出すのには、焦りもありますし勇気も必要です。私も常に明るく前向きに歩んできたわけではなく、なりたい自分になるために必死でできることをしてきました。私の場合は、「仕事で感じた悔しさは仕事でしか解消できない」と考えています。仕事で悔しい思いをしたら、気分転換をするより、人に聞いたり本を読んだりして学び、また実際にトライしてみるということを繰り返してきました。みなさんもどう生きていきたいかを考え、そのために必要なことを選ぶとよいと思います。