前例のない芸人として
自分たちなりの道を模索
お笑いコンビ
土佐兄弟さん
インタビュー:内山嶺
土佐兄弟インタビュー
土佐兄弟プロフィール

プロフィール・略歴

土佐兄弟(とさきょうだい)
兄・卓也(たくや:1987年生まれ 写真右)と弟・有輝(ゆうき:1994年生まれ 写真左)の兄弟によるお笑いコンビ。ワタナベエンターテインメント所属。若者を中心として絶大な人気を集めており、TikTokの総再生数は7億回を超える。

このインタビューは学生記者の内山嶺が担当しました。

現在の仕事について

どんなことでも仕事になる
懐の深い職業

土佐兄弟写真1

有輝(弟):お笑い芸人は、仕事の幅が広い職業です。テレビやラジオの他、イベントに出たり、広告に参加したり、動画を作ってSNSにあげたりと、多岐にわたります。また、一言でテレビの仕事といってもその内容はいろいろあり、例えば「人の告白を応援する」という、普通ではありえないことも仕事になる職業です。

卓也(兄):自分たちは売れない期間があったので、今はどの仕事も楽しんでいます。先輩からは「売れたらやりたくないこともやらなきゃいけなくなるよ」と言われることもありますが、特にそういったことはありません。

有輝(弟):どんな仕事も楽しんでいますが、中でも、自分たちの冠番組は特別です。1年前に「いつか自分たちのコンビ名の冠がついた番組をやりたい」とボケで言っていましたが、それが実現したときは本当に嬉しかったです。他にも、昔からファンだったももいろクローバーZさんと共演するなど、この世界に入っていくつも夢が叶いました。「頑張れば、こんなことが起きるんだ」と思うことがいくつもあり、やりがいを感じます。

また、一日忙しく働いて帰ってきてから飲むビールは本当においしいです。仕事がない時は惰性で飲んでいましたが、同じはずのビールでも味が全然違います。

卓也(兄):仕事をする中で僕たちが大事にしているのは、「サボらない」ということです。こんな当たり前のことを改めて強く感じたのは、ある出来事がきっかけでした。僕たちは数年前、『エンタの神様』の収録を見学していました。あくまで「見学」です。いつかこの舞台に自分たちも立ちたいという思いを抱きながら、現場に向かう電車でネタを考え、プロデューサーに見せてはダメ出しをされ、出番を用意されることもなく見学して帰るというサイクルが3年間続きました。ある時、前説(番組収録前に、会場を盛り上げるためのトーク)で出演予定の芸人さんが遅れ、誰かが時間をつながなくてはいけない事態が発生しました。

そこで、いつも見学している僕たちに声がかかったのです。本番前に観客を盛り上げる役割なのでテレビには映らないものの、お客さんの前でしゃべる機会をもらえ、そこで信じられないくらいウケました。それを見ていた司会の白石美帆さんが、「土佐兄弟はこんなにウケたんだから、絶対に次は出演してもらうべき」とプロデューサーに推してくださって、次の収録で、番組本番に出演することが決まったのです。

これは、ダメ出しされ続けても3年間通い続けていたからこそ手にしたチャンスでした。この経験から、努力して地道に頑張れば結果はついてくるということを学び、「これからもサボらずやっていこう」と兄弟で認識を改めて確認しました。

今の仕事に就いたきっかけ

「人は簡単に死ぬ」からこそ
やりたいことにチャレンジ

大学時代の卓也
大学時代の卓也さん(中央)

高校時代の有輝
高校時代の有輝さん

卓也(兄):子供のころから目立ちたがり屋で、高校生の時には「卒業式で答辞を読みたい」と思って生徒会長をやっていました。お笑いが大好きだったので、ネタ番組はチェックしてよく見ていました。その時は、自分が芸人になろうとはまったく考えていませんでしたが。

有輝(弟):僕も明るい方ではありましたが恥ずかしがり屋な面もあり、クラスで一番前に出るというより、そういう人の近くで笑っているタイプでした。

卓也(兄):就活の際もミーハーな考えで、業界を問わず名前を知っている大企業を片っ端から受けました。リーマンショックの影響でかなり大変でしたが、無事に保険会社から内定が出て3年ほど働きました。

ある日、会社の同僚とバーベキューをしていて、思いっきり転倒。前歯4本と歯を支えている骨が折れて、医師から「この衝撃を頭に受けたら、即死でしたよ」と言われました。その時、人は簡単に死ぬんだと感じて、人生は一度しかないからこそやりたいことやろうと決意。小さい頃から好きだったお笑いの道に飛び込んでみようと、会社に辞表を提出することにしました。

この決断に迷いはなかったので、会社を辞めることについて全く後悔はなかったです。それまではお笑いは「見るもの」でしたが、この時に自分が人を笑わせる側にまわりたいと思いました。

有輝(弟):兄から一緒に芸人になろうと誘われて、やろうと即決しました。当時高校3年生で、進学は決まっていたのですが、それ以上に特にやりたいことがあったわけではなく、なんとなく付属校から大学にいけばいいかという気持ちだったからです。父は応援してくれた一方、母は心配から、兄に対して「卓也は社会人経験もして自分のやりたいことをやりたいならそれでも良いけど、有輝の将来はまだこれからなんだから、弟を巻き込まないで!」と言って反対しましたが、兄が「大丈夫、俺がなんとかするから」と何度も母を説得してくれました。

これまでの人生の山と谷

「高校生ゆうき」という
暗闇の中で見えた一筋の光

コンビ結成当時の土佐兄弟
コンビ結成当時(2013年頃)

卓也(兄):僕は保険会社を辞めてIT企業で1年間の契約社員をしながら、弟は大学に通いながら、ワタナベエンターテインメントの養成所に通いました。養成所の中ではライブで一位を獲るなど、コンビとして意外と好調なスタートを切ることができました。そこまで行き詰まって大変だったということもなかったと思います。芸歴2年目に有輝のモノマネがきっかけでテレビ番組『しゃべくり007』に出演しました。

有輝(弟):これをきっかけに、このまま順調に売れるのではと思いきや、テレビに出て少し知名度が上がったことで、新人・若手を発掘するような番組のオーディションに一切受からなくなりました。4年目まではなんとかモノマネの仕事などがあったのですが、5年目には本当にどこにも呼んでもらえず、どん底に。まだまだ新人の立ち位置だというのに中途半端に知られた存在となってしまったせいで、ここからまた売れるというのは無理なのではと落ち込みました。

ただ、芸人を辞めようとは一度も思いませんでした。これは、全く売れずに結果が出ないときでも、「自分たちはいつか世の中に見出される」という思いがあったからです。もっと長く下積みが続けばまた考えも変わったかもしれませんが、根拠もなく「いつか売れる」という思いだけはあったので、自分たちを信じて前説の仕事をコツコツ続けていました。

卓也(兄):自分たちは、何とかここから這い上がろうと思っていました。しかし、年間100本ほど前説の仕事をしている僕たちに対し、「前説は当たり障りないやつがやる仕事。ここから売れた芸人はいない」と言う人もいました。

有輝(弟):そんな先が見えない中で、それでも何か発信できることはないかと模索しながらやっていたのが、動画作りです。前説の仕事が入ると楽屋で動画を撮り、それをInstagramにあげていました。世の中の「いるよね、こういう人」という「あるある」をテーマに街中で見かけたいろいろなキャラをモノマネする動画です。そのレパートリーの中でたまたま出来上がったのが、高校生のキャラです。兄が「これは面白い!とにかく、毎日このキャラで動画をつくってアップし続けよう!」と興奮気味に言うので、半信半疑ではありましたが、それを実践することにしました。

卓也(兄):初めて高校生キャラを見たとき、これは100%いけると確信しました。真っ暗闇にいた自分たちに、急に明かりが見えたような気持ちです。内容には自信があり、あとはどのタイミングで世の中の皆に見てもらえるかだけが問題だから、とにかく毎日アップしようと弟に言いました。

有輝(弟):僕はあまりピンと来ていませんでしたが、兄にこんなに褒めてもらえると悪い気はしません。そこから「高校生ゆうき」というキャラが定まり、現在のようなTikTokやYouTubeで多くの方々に支持してもらえる成果につながりました。

土佐兄弟の人生の山と谷パソコン版 土佐兄弟の人生の山と谷スマホ版

これから目指すこと

先のことはわからなくても
自分たちの方法で上を目指す

SNSでブレイクした土佐兄弟
SNSでブレイクし、仕事の幅も広がる(2020年頃)

有輝(弟):取材でよく将来の目標を聞かれるのですが、毎回答えに詰まってしまうんです。数年前の自分たちに「この先どうなっていきたいですか」と聞いたら、まさに今のように、たくさんの人に知ってもらって、冠番組を持てる生活がしたいと答えると思います。

当時はこんな風に動画でバズって売れるとは思ってなかったですし、先のことはわかりません。だから、今はまったく考えていないことですが、もしかしたら数年後にはトリオになっているかもしれない。そのくらい、将来何が起こるかはわからないと思っています。

僕たちの場合、具体的にどう頑張っていくべきかの判断が難しいという側面もあります。お笑い芸人はネタが評価されたりテレビで成果を出したりして売れていくのがセオリーで、動画が話題になって売れるという人は過去にいませんでした。

だからこそ、他の人と同じ道を目指すことはあまり意味がないのかなと思っています。前例がないからこそ、自分たちにしかできない形でもう一段階上のステージを目指します。

卓也(兄):僕は仕事をするうえで、予習を大切にしています。第三者がいる現場があるときはあらかじめその人についてリサーチし、情報を頭に入れて現場に入ります。忙しくなるとこうした時間がとりにくくなりますが、これからも大切にしていきたいです。

有輝(弟):僕は、途中でやめないということを意識しています。何かを一回やってみてダメでも、続けることが大切です。高校生キャラについても、すぐに成果が出ないからといってやめていたら、今のような状況はありませんでした。もともと何かを続けることは得意なので、継続は力なりという気持ちでこれからも頑張っていきます。

オフの過ごし方+生活と仕事の両立

変わった仕事内容だからこそ
休日は「普通の生活」を満喫

卓也(兄):休日は、どこにでもいるごく普通の34歳の生活をしています。家族で出かけたり、釣りをしたり、アイドルのDVDを見たり。仕事で「兄弟で変なことを話して、弟の頭をはたく」なんて変なことをしているので、その反動かもしれません。

ストレス発散法について聞かれることもありますが、もともとため込まない性格です。仕事で上手くいかなくても、その瞬間は反省しますが、帰ってまで引きずることはありません。

有輝(弟):僕は対照的で、いろいろと悩む方です。高校時代に仲が良かった友人が近所に住んでいるので、休みの日には一緒にお酒を飲むなどリフレッシュしています。

    

若者へのメッセージ

やりたいことは何でも挑戦し
気楽な心で働き始めること

土佐兄弟写真6

有輝(弟):このサイト(WILLキャリッジ)を見ている時点で、あなたは大丈夫。僕も2年ほど大学生をしていましたが、そんなに情報収集をしたり就活に備えたりはしませんでした。だからこうやってサイトにたどり着いて記事を読んでいる人は、今の自分に自信をもって頑張ってほしいです。

アドバイスとしては、僕自身が「もっといろんなことをやっておけばよかった」と思っているので、やりたいと思ったことは何でもチャレンジすると良いと思います。芸人に限らずどの職業でも、変わった趣味や他人があまりやっていない経験などがあるとコミュニケーションのきっかけになります。人と違うことは最大の武器になると思っています。

例えば、僕は子どもの頃少しだけピアノを習っていた時期があったのですが、「男がピアノなんて…」と思って辞めてしまいました。今思えば、ピアノが弾ける人ってめちゃくちゃ素敵ですよね。続けておけばよかったです。どんなことでもいいので、やりたいと思えることがあるなら今のうちに経験しておくことがおすすめです。

卓也(兄):就活で気張る気持ちもわかりますが、あまり覚悟を決めて社会人にならない方がいいと思います。社会人生活は40年という、途方もない長さです。最初から「しっかり社会人としての自覚を持とう」なんて思っていると、途中で息切れします。

ある意味、いつでもやり直しはできるというくらいの気持ちで会社に入ってみて、そこが合っていればそこで頑張ればいい。合わなければ、転職やフリーになるという選択肢もあります。早いうちから人生を「これしかない」と決めようと思わず、力まずに働き始めてみてください。