あくなき探究心で向き合い
「良い音」を見つけ出す
バイオリン職人
岩崎清夫さん
インタビュー:山中颯梧、白石友葵子
岩崎清夫インタビュー
岩崎清夫プロフィール

プロフィール・略歴

岩崎清夫(いわさき・すみお)
1973年生まれ。大学を中退してバイオリン職人に弟子入りし、数カ所の工房で修行したのち、2003年に独立して岩崎工房を立ち上げる。現在は東京都小金井市に工房を構える。主にバイオリンの修理・調整と、製作も行っている。

このインタビューは学生記者の山中颯梧、白石友葵子が担当しました。

現在の仕事について

プレッシャーを跳ね除け
顧客の目の前で修理をする

岩崎清夫写真1

バイオリンの修理やメンテナンスの仕事をしています。バイオリンは温度や湿度の変化で音が微妙に変わるため、定期的な調整が必要です。お客様がいらしたらまず状況をヒアリングし、どこが悪いかを分析して直します。修理の方法は多様で、内側にある魂柱(こんちゅう)というパーツを調整したり、弓の毛を交換したりします。請け負っている修理の数は、年間で500~600挺ほどです。

私は独立して以来ずっと、修理している姿をお客様から見えるようにしています。目の前で作業するのはプレッシャーがありますが、お客様に安心感を持っていただけます。また、作業をしながら話ができるため、より多くのコミュニケーションをとれる点もメリットです。

仕事でやりがいを感じる瞬間は、お客様とのやり取りの中で情報を集め、上手く修理し、その楽器が出せる最も良い音を鳴らせたときです。良い音が出せるとそれだけで嬉しいです。特に、修理した楽器がコンサートで使われ、演奏者の方から「楽器の音がすごく良くなっていて、おかげで聴衆の皆さんもとても喜んでくれました」というご報告をいただいたときはとても嬉しく思います。私は演奏家ではありませんが、楽器を通して音楽の世界に携われることは大きな喜びです。

今の仕事に就いたきっかけ

大学で魅了された
構造物としてのバイオリン

岩崎清夫写真2

実家は畳屋を営んでおり、昔から家の中に転がっていた畳の材料や木材、発泡スチロールなどを寄せ集めて工作することが好きでした。また天体にも興味があったため、ロケット工学や航空工学の勉強ができる大学に入りました。家には、兄のピアノとトランペットがありましたが、私自身は習ってはいませんでした。しかし、心のどこかで音楽をやってみたい気持ちがあったので、入学後にオーケストラサークルに入りトランペットを希望したところ、「もう定員が埋まっている」と断られてしまいました。そのとき、代わりにとバイオリンを勧められたことが、私とバイオリンとの出会いです。

いざ始めてみると、バイオリンの構造物としての美しさに惹かれました。バイオリンの形を追究することは、自分が学んでいた理系的な要素も含まれています。さらに音楽を奏でるという文化的な要素もあり、「この楽器は、自分が一生かけてもきっと手の届かないところにゴールがある、一生追いかけたい存在だ」と一気に惹き込まれました。

ある日、サークルの先生が持っていたバイオリンの音に魅了され詳しく聞いてみると、日本人が作ったものだと教えてもらいました。すぐにそのバイオリンを作った工房に行き、弟子入りを志願しましたが、断られました。改めてお願いしに行くと「自分でバイオリンを作ってこい」と言われました。知識が一切ないところから、あれこれ調べて半年かけてなんとか形にして師匠に見せ、工房を手伝う許可をもらえました。

それを機に大学を辞め、修行を開始。バイオリンに没頭できることになったので、大学を辞めることに何の迷いもなかったです。2年ほど技術を学んだ後に体調を崩してしまい、実家にて養生した期間もありましたが、修行に戻りいくつかの工房で働きました。

これまでの人生の山と谷

経済的な苦境を乗り越え
国内外に顧客を抱えるように

岩崎清夫写真3

修行期間を終えて、バイオリンのディーラーをしていた友人とともに販売と修理の店を千駄ヶ谷にオープン。そこでお店を経営するノウハウを自ら試行錯誤しながら学びました。2年ほど継続した後、結婚のタイミングで修理工房として独立し、国分寺で開業。数年後にもう少し大きな店を構えようと明大前に移転しました。ところが、リーマンショックと東日本大震災によって売り上げが激減し経営危機に陥りました。

そこで環境を変えようと考え、雑多な町から離れたいという思いもあったため、小金井に移転。しばらく小さな工房でやっていました。次第に備品等が増えたためもっと大きな場所が必要になり、現在の場所に移りました。

独立した当初から作業している様子をお客様に見えるようにしているため「どうやって調整しているか見せてもらえるんですね」と驚かれ、技術への信頼につながりました。今では長年の付き合いになるお客様も増え、海外で活躍している日本人の方が、帰国と同時に空港から「岩崎さんに直してほしい」と直行してくださることもあります。

私がどんなお客様に対しても大切にしていることは、その人の演奏している姿を意識することです。ヒアリングを通して、お客様がどんな演奏をして、何を求めているかを判断します。

バイオリンのメンテナンスは上手くいくことばかりではなく、どうしても良い音が出ないこともあります。そんなときは、とにかく考えていろいろなアプローチを試すしかありません。日頃からそもそも「良い音」とはどういう音かを知るために、色々な音色をインプットし、それに近づけるには何が足りないのかを物理的に研究します。こうした研究には、大学で学んだ工学の視点も役立っていると思います。本当の「良い音」を理解するには時間がかかるため、あくなき探究心が必要です。

こうした情熱は昔からのもので、子どものころから何か作りたいものができたら、自分で素材を組み合わせてゼロから作りだしていました。弟子入りのためにバイオリンを作ったときも、ドイツで書かれたバイオリン製作の解説書の訳本を買い、翻訳のクオリティが低く意味がわからない部分が多かったにもかかわらず、なんとか読みながら、半年間初めてのバイオリン作りに没頭しました。

岩崎清夫の人生の山と谷パソコン版 岩崎清夫の人生の山と谷スマホ版

これから目指すこと

バイオリン修理で技術を学び
いつかは世界的な名器を製作

岩崎清夫写真4

最初に弟子入りした工房で、バイオリンを修理する道に進むか、製作する道に進むかを決めた方がいいとアドバイスをもらい、修理を選びました。というのも楽器の製作はイタリアが本場で、たとえどんなにいいバイオリンを作ったとしても日本で作られたというだけでその価値を認めてもらえず、価格が低くなってしまうことがあります。そのため製作だけで生活できるのは、本当に限られた人間だけだということを現実問題として理解せざるを得ませんでした。

しかし将来的には、私もバイオリンの製作がしたいと思っています。大げさかもしれませんが、いつかは世界的名器のストラディバリウスのような、誰もが感動するものを作りたいです。

その目標に近づくため、今は修理という形で様々なバイオリンに触れて技術を高めています。たまに自分で作りますが、まだまだ納得のいくものはできません。いつかは満足できるものを作り、自分がこの世にいなくなったあとも残る楽器が作れたらと思っています。

オフの過ごし方+生活と仕事の両立

休日もスキルを高めながら
家族との時間も大切に

日曜日は定休日としていますが、実際には作業をしていることが多いです。その中でも家族との時間は大切にしており、よくキャンプに行っています。現在の生活は、自宅と工房が近いこともあり、仕事と生活が一緒になっているような形です。

家と職場が近いことから、小学生の息子の世話をしながら働いています。子育てにおいて、親の背中を見て育つことはいいことではないかと感じます。息子は、現在は機械とコンピューターが好きなようですが、日頃から工房に出入りしていることもあり楽器にも興味を持っている様子です。

    

若者へのメッセージ

ネットの情報だけで満足せず
実際に行動してみること

岩崎清夫写真5

工房にいらっしゃる若いお客様から、将来について相談を受けることがあります。そこで私が伝えているのは、「やりたいことがないなら海外に行くといい」というアドバイスです。日本以外の場所で得られる衝撃は大きく、とても新鮮な体験ができます。私自身、バイオリン製作の本場であるイタリアを訪れ、現地の職人と直接技術交流をしたことや、日本では見たことがないような素晴らしい材料に触れたことが、自分にとっての大きな財産になりました。皆さんにも、それぞれが目指す分野の本場に行ってみることをおすすめします。

また、海外に行くと「日本を外から眺める」という視点が養われ、新しい発見が生まれます。例えば、ヨーロッパの古い石造りの街を目にした後では日本の街並がそれまでとは全く違ったものに見えるように、今の日本を客観的に捉えられるようになる良いきっかけにもなります。

現代はネットに情報が溢れていて、それを見るだけで現地に行った気がしてしまうものですが、実際に訪れて初めてわかることもたくさんあります。緊張するかもしれませんが、ぐっと足を踏み出すことが大切です。

つい慎重になる方もいますが、人生は一回しかありません。行動してもしなくても、上手くいくときもあればそうでないときもあります。いずれにせよ同じことなら、チャレンジしてみてはいかがでしょうか。ましてや日本は安全な国で、何かに失敗しても命をとられることはそうないので、ぜひ思い切ってみてください。