人と関わる仕事がしたい
自分で選んだ医師の道
医師
大西由希子さん
大西由希子インタビュー
大西由希子プロフィール

プロフィール・略歴

大西由希子(おおにし・ゆきこ)
1969年生まれ。東京大学医学系大学院博士課程修了後、朝日生命成人病研究所糖尿病代謝科に勤務。糖尿病専門医として多くの患者を受け持つ。また3人の子をもつ母として、子育てをしながら診療と研究を行い、治験部長としても活躍。2009年にママドクターの会を立ち上げる。

現在の仕事について

糖尿病専門医として
患者の人生に伴走する

職場の仲間たちと
職場の仲間たちと

朝日生命成人病研究所附属医院で、22年間糖尿病の専門医としてたくさんの患者さんを診察してきました。研究活動もしており、糖尿病の原因や、糖尿病の患者さんの特性などを探る疫学研究をしています。また治験部長として、糖尿病の新薬を開発するための臨床試験の責任医師をしています。

診察では、患者さんの話をよく聞き、患者さんの変化に敏感であることが大事だと思っています。診察時間は1回あたり10分程度なので、1回の診察で全てに気付くことは難しいです。でも、患者さんが毎月通院すると1年間で120分、つまり2時間ご一緒している計算になります。20年通院した場合、40時間という時間を一緒に過ごすことになります。その長いお付き合いの中で、相手を理解し、変化を見逃さず、適切なアドバイスや処方ができるよう心掛けています。病気と向き合う患者さんに伴走し、主治医として変化の過程を近くで感じられることは、医師としてのやりがいとなっています。

もう一つ、2009年に「ママドクターの会」を立ち上げました。自分が子育てをしているときに感じた子育て中の女性医師ならではの課題や悩みを共有できる場があればと思い、子供と一緒に参加できる会をつくりました。始めた時は14人でしたが、今は若い世代もたくさん参加してくれ、160人程の活気あふれる会になっています。

「ママドクターの会」の取組が評価され、令和4年度東京都女性活躍推進大賞を受賞
「ママドクターの会」の取組が評価され、令和4年度東京都女性活躍推進大賞を受賞

今の仕事に就いたきっかけ

初めて自分の意思で
選んだ医師という道

恩師の小坂樹徳先生(中央)とWilfred Fujimoto先生(左)
恩師の小坂樹徳先生(中央)とWilfred Fujimoto先生(左)

父方の祖父の臨終に立ち会うという高校時代の経験が、医師を志すようになった原点だと思います。自分の目の前で心臓マッサージが始まり、臨終を宣告されるまでの間、何か大変なことが起きていると感じたのを覚えています。そこからだんだんと、やりがいのある仕事なのではないかと考えるようになりました。

大学は、東京大学理科I類(理工系)に進学しました。入学後は、時間を惜しまず嬉しそうに物理や数学の計算に没頭する同級生に囲まれ、理工系研究者の道は自分のイメージする将来像とは違うのではないかと感じました。そこで、「科学が好き」「人と関わることも好き」という2つの軸から、大学3年生で専門分野を決めるときに、医学部を選びました。医師のご子息が多く、医師としてのキャリアが見えている同級生もいる中、親族に一人も医師がいなかった私には、将来を導いてくれる人が身近にいませんでした。中高大と姉の歩む道を無意識に追いかけてきた私にとって、初めて自分の感性で将来を切り開いていかなければならない場面でした。ただ、今になって思うことですが、自分の意思で道を選んだからこそ、納得のいく人生になっているのだと思います。

今の職場に勤務するきっかけは、信頼する研究室の先輩方の勧めで、特に迷いはありませんでした。就職など人生の大きな決断は、意外と受身な部分もあります。絶対に譲れない部分以外は、あまり深刻に悩まずに、そのときの自分が信じる道に進んで良いと思います。違うな、失敗したなと思ったときは、またやり直せば大丈夫です。

これまでの人生の山と谷

時間が足りない!
3人の子育てと仕事に奮闘

大西由希子の人生の山と谷パソコン版 大西由希子の人生の山と谷スマホ版

大きな転機となった出来事は二つあります。一つは、高校3年生のときオーストラリアに2週間の短期留学をしたことです。私はアメリカ生まれだったのですが、オーストラリアでたくさんの外国人と触れ合うことで、自分はアメリカ人ではなく日本人であるということを再認識し、アイデンティティーを確立することができました。

もう一つは、大学2年生のとき日本数理財団が主催するJAMSセミナーに参加したことです。セミナーでは、世界各国で選抜された大学生たちと2週間の合宿生活をしました。そこでさまざまな背景をもつ人達と交流する楽しさを改めて感じ、人と関わる仕事がしたいという思いが強くなり、迷いなく医師の道へ進む決意ができました。こうした課外活動や国際的なイベントに参加することは、自分の視野が広がるきっかけになるので、積極的に参加すると良いと思います。

医師を志してから28歳で結婚するまで順調に人生の充実度が高まっていきましたが、第一子妊娠を機に、働きたくても働けない状況が始まりました。子供が生まれる度に幸せが増す一方で、妊娠中はつわりの気怠さや吐き気が続きました。また、産後の育児は、例え男性が出来ることであったとしても、当時は「まずお母さんがやるもの」という大前提があり、「なんでママの私だけ? パパもいるのに」という気持ちが大きかったです。この気持ちをパートナーに理解してもらい、協力を得られるようになるまでにはとても時間がかかりました。

保育園のお迎えや子供の急な発熱で勤務を交代してもらうなど、同僚に助けられながら一生懸命働きました。仕事に当てられる時間が限られてしまう分、できるときにできることを精一杯やることが習慣化しました。

治験部長を任された時も、希望していたポストではなかったことに加え、保育園児2人を育てながらその重責が務まるのか不安でしたが、本当に無理だったら辞めさせられるだろうと思い、引き受けました。幸い、周りのスタッフや同僚たちに助けられ、今日まで続けられています。末っ子が中学生になってから、仕事に集中できる時間も増え、仕事の充実度もようやく上向きになり始めました。

これから目指すこと

育ててもらう側から
共に学び支援する立場に

仕事の面では、後輩達にも研究の面白さを感じてもらいたいと考えています。ただ、いろんな方がいるので、全員に診療も研究も楽しいと思ってもらうことはなかなか難しいです。チャレンジングな課題ではありますが、自分自身も楽しみながら挑戦していきたいです。これまでは医師として育ててもらう側でしたが、今後は共に学びながら、後輩達の支援をしたいです。

職場づくりの面では、「みんながいろいろな立場の人たちの状況に思いを馳せる」ということができたらいいなと思います。例えば、子供が小さいうちは仕事を休むことが増えますが、子供が大きくなってからもトラブルはありますし、親の介護など、それぞれの世代で抱える事情があると思います。女性も男性も関係なく、誰もが休みをとりたいときに休めるように協力し合える居心地の良い関係を築けたらいいですね。

大西由希子写真4

オフの過ごし方+生活と仕事の両立

優先順位を考え
できることを一生懸命やる

子育てが一段落してきたため、最近は高校大学時代の友人やママ友と一緒に遊びに行くようになりました。子育てと仕事に追われていた時は、プライベートの集まりにはほとんど参加できていなかったので、嬉しいですね。子育て期には我慢していたことを少しずつ始めてみようと思って、運動も兼ねてゴルフを再開し、夫と楽しんでいます。それと、娘が成人式で振袖を着たことをきっかけに、それまで全く興味のなかった着付けを習い始めました。日本文化の素晴らしさを改めて感じています。

プライベートと仕事を両立させるために、常に「今、何を一番優先させなければならないか」を考えています。子供が小さいときはどうしても子供優先でした。自分しか子供の迎えに行けない時は、会議中でも帰るといったことはたくさんあり、後ろ髪を引かれる思いを何度もしてきましたが、その都度、周囲には感謝を伝えるよう心掛けてきました。今は、子育て期間中の恩返しといいますか、後輩たちが気持ちよく仕事ができるよう頑張ろうという気持ちで働いています。

若者へのメッセージ

自分のことに全力投球
できる時間を大切に

大西由希子写真5

まずは学生生活を楽しんでください。人との関わりが自身の人間形成につながります。学校に行って、友達を作って、おしゃべりをして、たくさんのイベントを一緒に経験することで得られる幸せは、一生の宝になります。何か苦しいことがあったときも、友達が力になってくれるはずです。学生という時間を大事に過ごしてください。

また、若いときの、時間もお金もエネルギーも全て自分のことに注げる時間というのは、実はとても貴重で、長く続く時間ではありません。子供がいなくても、役職がついて責任が生じてくると、自分のことだけをできる時間は、どんどんなくなっていきます。自分のことに全力投球できるときは、しっかり自分と向き合って、人生を楽しんでほしいです。