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都民安全

体験手記

公開日:令和5年(2023)2月1日更新日:令和5年(2023)2月1日

体験談1 理不尽な日々から充実した日々へ

初めて本物の暴力団員を見たのは14歳の時でした。私はこの時、暴力団員を見て「神様みたいだ」と感じたのです。

私は、13歳で暴走族に入りました。当時、暴走族には必ず背後に暴力団がいて、いわゆる「ケツ持ち」をしてもらっていました。

私が所属していた暴走族では、毎月1人数千円の会費を暴走族に納めることになっていましたが、その中から暴走族の総長が、暴力団に対して約30万円を支払っていました。

私たちの所にやってくる暴力団は、私たち全員にジュースをおごってくれましたし、私たちのことをとても理解してくれました。その上、これ以上ないくらいにとても優しかったのです。
こうしたことから、14歳の私の目には、この暴力団員が「神様」に見えたのだと思います。

15歳の時には、暴力団員になった地元の先輩から誘われるままに、祭りで露店の仕事を手伝ったり、建築現場で働かされたりもしました。
でも、私は暴力団に対して強い憧れを抱いていましたので、働かされても全然嫌な気がしませんでした。

私は、特に喧嘩が強かったわけではありませんが、その後、運良く暴走族の総長になれました。

私が暴力団のところに行き、毎月の支払を直接するようになったので、どんどん暴力団との関係が密接になっていきました。
暴力団事務所の大掃除に駆り出されたり、暴力団員に対する憧れから入れ墨も入れました。
このころも、暴力団の人から何かを強制されることはなく、酷いことをされることも全くなくて、逆に良い面だけが見えていました。

私は、暴走族を辞めた後、個人でブランド物のコピー商品を販売する商売をやりだしたのですが、暴力団員の先輩から、「暴力団にならないか」と勧誘されたり、「コピー商品を売るならもっと稼ぐ方法がある」と話を持ちかけられました。
私は暴力団にはならないまでも、先輩から他の暴力団員を紹介してもらい、その人からコピー商品を格安で手に入れられる外国人を紹介してもらいました。

私は、特に要求されたわけではないのですが、自ら暴力団員に御礼という形で売上からお金を持って行くようになりました。

この時点で、私は完全に暴力団に陶酔していたのです。

それからというもの、益々暴力団との関係が深くなり、私はついに暴力団の運転手をやるようになりました。
私としては、いつの間にそうなってしまったのか分からない感じですが、気がついたら暴力団の運転手になってしまっていたというところです。

運転手をしながらも、「会社やってみるか。資金は出してやるから。合法で金も儲かるぞ。」と言われ、私は20歳という若さで会社の社長になり、いわゆる暴力団のフロント企業という形で商売をやるようになりました。
ときには、違法な仕事もしましたが、その間も暴力団は社長らしい服を買ってくれたり、資本金を出してくれて、優しくしてくれました。
こうして私は、暴力団からどんどん恩を売られていったのです。

その後、私に対する態度が次第に厳しくなっていきました。
携帯電話のコールは3回以内で出ないと殴られました。
携帯電話には、何をしていようと直ぐに出なければならず、私はお風呂に入るときも直ぐに出られるような場所に携帯電話を置いていました。

ときには、有りもしない電話に出なかったと難癖をつけられ数発殴られたこともありました。「着信がありません。」と言いたい気持ちもありましたが、そんなことを言ったら余計に殴られ半殺しにされると思い、反抗できませんでした。

仕上がったクリーニングの置く場所が少し違うだけでも気合を入れられました。
運転自体も、ハイヤーみたいに丁寧にしないと、いすを蹴られました。
急ブレーキを踏んだりしたら、いすを蹴られるどころではありませんでした。

私は、こうしている間も2回ほど警察に逮捕されました。

普段は厳しい暴力団ですが、逮捕された時は逆で、すぐに留置場に差入れをしてくれるし、弁護士もちゃんとつけてくれる、その上、保釈金まで支払ってくれるのです。

しかし、これは暴力団をやっていて良かったと思わせて、暴力団を辞めようと思わせないための手段なのです。
暴力団は、アメとムチを巧みに使い分けるのです。

私は、このアメとムチにすっかりはまってしまいました。
今思えば、休みなんて全くなく、夏休みもお正月だってありませんでした。
何があっても暴力団関係の事柄を最優先しなければならず、家族旅行はもちろん、家族の冠婚葬祭ですら後回しでした。
今思えば、多くのものを犠牲にしました。

そんなある日、彼女が妊娠しました。
私は、父親になることになったのです。
生まれてくる子供に迷惑は掛けられない、家族を養っていかなければならないという自覚が芽生え、私はこの時点でようやく暴力団を辞めようと決断しました。

暴力団を辞めることがどれだけ大変なことなのか、私は知っていました。

私の先輩も、暴力団の構成員になっていたのですが、あることをきっかけに辞めようと決意し、逃げ出したのです。

私は、暴力団側の人間として、先輩の彼女の家の前で一週間ずっと張り込みをしたこともあります。
また、先輩の実家に行って、留守だった際は「そのまま家の中に入れ。」と命令されて、なにか連絡先等の手がかりがないか、勝手に忍び込んで探したこともあります。

親や兄弟を脅したこともありますが、上の人の言うことですので、やるしかなかったのです。

この先輩は、結局耐え切れなくなって、自分から事務所にやってきました。
事務所の偉い人が、「ガソリン買って来い。」と言いました。

ガソリンだとちょっとした事で爆発すると思い危なすぎるので、私は気を利かせて灯油を買ってきました。
そして、暴力団員は、容器の口をゆっくりと開け、灯油を先輩の頭から全身に掛けました。
その上、先輩の目の前でカチカチとライターを鳴らし、火花を散らすのです。

先輩は、立っているのもやっとなくらいにガタガタ震えだしました。

「お前、ここで死ぬか、ヤクザ続けるか、どうする?」と言いながら、殴る蹴るの暴力混じりの脅しが、約2時間に亘り延々と続けられました。
先輩は、それでもガタガタ震えながら「辞めさせてください。」と懇願し続けました。

すると、いくらやっても駄目だと思ったのか、暴力団員は先輩に対して即座に数百万円の支払いを要求しました。
しかし、そんな金、下っ端の暴力団員は持っていません。
とても自分で払える金ではないのです。

それでも、先輩はすぐに事務所から出ていき、消費者金融から借金し、足りない分は何件も空き巣を繰り返して金を作って数百万円を支払い、暴力団からやっとの思いで抜けることができたのです。
でも、後になってから、この時の空き巣が発覚して、結局は刑務所に行くことになりました。

私は、こんな思いをしたくはなかったので、彼女とお腹にいる赤ん坊を連れて、とにかく遠くへ逃げました。

幸いなことと言いますか、私は暴力団の構成員にはなっていませんでしたので、執拗な追い込みはかけられませんでした。

でも、実家には暴力団からの圧力がかかっており、地元の友人の話では、私が逃げたことについて暴力団はとても怒っており「帰って来たら殺す。」と言っているそうです。

ですから、最初の数年は、実家に帰るときに包丁を手放せませんでした。
もしも暴力団から襲われたら、刺す覚悟を決めていました。

私は正当防衛だ、家族のために殺されるより殺して生き延びた方が良いと思っていました。

今では、子供も無事に生まれ、家族と一緒に平和な暮らしをすることができています。
平凡ではありますが、仕事もしっかりしております。

私にとって、暴力団と関係していた時の出来事は、後悔以外の何ものでもありません。

幼かったころの私の目には「神様」に見え、すっかり陶酔していた暴力団は、間違いなく悪の根源であり、想像していたような、とても憧れるべき存在ではありませんでした。

青少年は、世間をよく知らず、暴力団がどんなに恐ろしい存在なのか、近寄ってはいけない存在であると正しく認識できないのです。

私は親として、然るべき時が来たら、子供に暴力団の悪質性と恐ろしさを教えたいと思っています。

以上の体験談が世間に伝えられ、青少年が暴力団と交際しないよう役立てられたら嬉しく思います。

体験談2 「兄貴」との闘い

私は、都内のキャバクラ店でボーイとして働いている時に、暴力団幹部のA(仮名:35歳)と知り合いました。

私が働いていたキャバクラ店は、毎月の給料を支払ってくれず、私がAと知り合った当時も2か月分の給料を貰えていない状態でした。

そのキャバクラ店に客として訪れたのが、以後、私が「兄貴」と呼ぶようになったAという暴力団幹部なのです。

Aは、金払いがよく、とても羽振りが良い感じに見え、私に対しても「何かあったら、いつでも相談しろよ。」と優しく声を掛けてきました。

Aが暴力団幹部であることは他の従業員から聞いており、最初は、私も普通の人と同様に「暴力団=怖い」というイメージがありましたが、Aは何度もキャバクラ店に遊びにきては、私に対し優しい声を掛けてくれました。

そして、私は、Aの「偽りの優しさ」に惚れるようになっていったのです・・・

私は、2歳のころ、両親が離婚し父親に育てられたのですが、その父も私が16歳のころ、病気で亡くなってしまいました。

その後は住んでいたアパートも追い出され、友人宅を転々として、悪い友人とも知り合うようになりました。
そのころ、私が頼れるのは悪さをする友人だけで、遊び金欲しさから、あらゆる犯罪を行いました。

17歳の時には、窃盗で初めて警察に逮捕され、その後、何度も警察に逮捕されています。

Aと知り合うきっかけとなったキャバクラ店は、悪い友人から働くように勧められた場所です。

そのキャバクラ店でも法に触れるようなことを数多くやってしまいましたが、これは紹介してくれた友人の顔をたてるためでした。
今になって思うと、私は寂しかったのだと思います。
誰も信頼できるような人はいませんでした。

そのときに私に優しい声を掛けてくれたのが、暴力団幹部のAであり、私は、優しく接してくれるAに憧れるようになり「この人なら信頼できる。」と思うようになってしまいました。
そして、私は、来店したAに対し「店が給料を支払ってくれない。」等という相談をしました。

すると、Aは「ちょっと待ってろ。」と言って、キャバクラ店のオーナーを呼び出し、すぐに私の2か月分の給料を取り立ててくれました。

私の2か月分の給料は、40万円だったのですが、Aは半分の20万円を「取り立て料」として持っていきました。

自分自身がいくら請求しても支払ってくれない給料をAが取り立ててくれたので、20万円を持っていかれることに何の不満もありませんでしたし、私は逆に「なんて頼りになる人だろう。」と思い、さらに暴力団に対する憧れが増していったのです。

Aは、キャバクラ店で働く女性をスカウトする会社を実質的に経営しており、相当な利益を上げていました。

私は、そのスカウト会社で働かないかと誘われ、働いても給料を支払ってくれないキャバクラ店で働くよりも頼れる暴力団幹部が経営しているスカウト店で働いたほうが良いと考え「働かせて下さい。」と即答しました。

Aが経営する会社のスカウト行為は、街で歩いている未成年にも声を掛けますし、嫌がる女性に対してもしつこく声を掛けて、時には警察へ通報されることもありました。

悪いことだとは分かっていましたが、そのとき、私は暴力団に陶酔していましたので、Aの指示であれば、何でも従うようになっていました。
数多くの女性に声を掛け、キャバクラ店で働くように勧誘し、実際にキャバクラ店で働く未成年も多くいました。

私は、Aの手下として、暴力団の集まりにも連れていかれましたし、暴力団の会費として毎月3万円を納めるようになっていました。

自覚はなかったのですが、いつの間にか私は暴力団員になってしまっていたのです。

私は、Aのことを「兄貴」と呼ぶようになり、Aと共に行動をすることで、周囲から「あいつは、暴力団だ。」というレッテルを貼られました。
友人たちは、自然と私から離れていきましたが、私は本当の兄貴と思えるほど、Aのことを信頼していましたので、それでも構わないと思っていました。

私がAと共に行動をする生活に慣れてきたころ、Aは覚醒剤を使ったということで警察に逮捕されました。

逮捕されたAは警察の取調べに対しても「覚醒剤を使っていない。」という一点張りで、素直に覚醒剤を使ったことを認めませんでした。

私は、Aが覚醒剤を使っていることを知っていました。
Aは、警察に逮捕される前、私に対し「もし、俺が警察に捕まったら、お前も警察に呼ばれて事情を聴かれるだろう。その時には俺が覚醒剤を使っているところなど見たことはないと嘘をつけ。本当のことを喋ったらどうなるか分かっているな。徹底的に追い込むぞ。」と脅してきたのです。

予想どおり、私は警察に呼び出され、Aのことを聴かれました。
はじめのうちは当然のように嘘をついていましたが、刑事さんからAの本性を教えられ、本当のことを言うべきか迷うようになりました。

しかし、私が本当のことを喋ったら、いったいどんな目に遭わされるのか、非常に怖くて、なかなか本当のことが話せませんでした。
私は、Aに対して「恐怖」を感じていたのです。

そんな私に対して、刑事さんは私の将来について親身になって諭してくれたのです。

刑事さんの話を聞き、自分が立ち直るためには、Aや暴力団との関係を断ち切る以外に道はないことが分かりました。

私は、ようやく本当のことを話すことができたのです。

私は、Aの裁判において証言台に立ち「Aは、覚醒剤を使っていました。」と証言しました。

そのとき、被告人席にいたAが怒りに満ち溢れ、鋭い目つきで私のことを睨み付けてきたことを忘れることができません。

その後、私は警察や暴追センターからいろいろなアドバイスをもらって、所属していた暴力団の縄張りを遠く離れ、知り合いのいない地区に移り、携帯電話も変えました。

Aの裁判から1年が経過しましたが、今でもAの怒りと恨みに満ちた顔が忘れられません。
夢にも出てきます。
本当に報復が怖いのです。

いつ暴力団が私のことを追ってくるのかと、不安で眠れない時もあり、毎日びくびくしながら生活をしていますが、今のところ大丈夫なようです。

通常、暴力団から逃げた組員は、執拗に追い回され、親兄弟の自宅や知人方にまで暴力団が押し掛けてきますが、私は親兄弟もなく、友人もいなかったので、暴力団も私を見つけることができないのだと思います。

寂しい思いをしていた私に、暴力団は優しい声を掛けてきて、都合よく私を利用していただけでした。

Aのスカウト会社には、単に「小遣稼ぎをしたい。」という考えだけで会員登録をする未成年が数多くいましたが、その未成年たちは、自分が働くことで暴力団の資金源を潤しているとは、全く考えていないはずです。

暴力団は、あらゆる手段を使って金儲けを考え、活動しており、影を潜めて、あなた方の近くにすり寄ってきます。

私の場合は、暴力団幹部に優しい声を掛けられて、その言葉を信じてしまい都合よく利用されたのですが、その他にも、現在、社会問題となっている振込詐欺や危険ドラッグの背後には、必ず暴力団がおり、少年少女が「遊ぶ金が欲しい。」「一時的な快楽を得たい。」と思って、これらの犯罪に手を染めることが、暴力団へ加入するきっかけになると思います。

簡単に、金が稼げる仕事なんてありませんし、違法薬物に一度でも手を付けたら、そこから抜け出すことは、容易ではありません。

一度暴力団に加入してしまったら、そこから抜け出すことは本当に難しいことなのです。

私の経験談が、世間に伝えられ同じような苦しい経験をする人がないように、役立てられたら嬉しく思います。

体験談3 薬物と暴力団から離脱した女性

私は、一流企業役員の父と専業主婦の母との間に一人娘として生まれました。

小さいころは、塾も行き、柔道も習うなど、裕福な家庭に育ち、お嬢様として、何不自由なく育てられていました。
しかし、幸せだった家庭は長くは続きませんでした。
それは父の不倫が原因だったのです。

それまで母は、自分の全てを犠牲にして父に尽くしていたのですが、父が不倫をしていることを知ってから、徐々に体調を崩し、しまいにうつ病になり、その頃から、私の家庭は少しずつ歯車が狂いはじめました。

それでも、なんとか家族としての体面を保ちながら生活をしていたのですが、あるとき父の仕事の関係で父と母が他県に移住し、私は祖母と二人で地元に残り生活するようになりました。

そのころ14歳になっていた私は、両親の愛情に満たされない寂しい気持ちを紛らわすため、ゲームセンターやファミレス、カラオケボックス等で夜遅くまで友達と遊ぶ毎日が続きました。
タバコを憶えたのもそのころでした。

毎日毎日、夜遅くまでフラフラと遊んでいる私に近寄ってくるのは、不良ばかりで、自然と不良の友達が増えていきました。

一緒に遊ぶ仲間が出来た私の行動は、段々とエスカレートしていき、祖母との2人暮らしの家にいてもつまらない私は、家出を繰り返すようになったのです。

家出した私は、すぐに補導され連れ戻されることが嫌だったので、絶対に家に帰りたくないと覚悟を決めていたので、偽名を使い年齢も16歳と偽っていました。

行くあてのない私は、不良仲間の溜り場であった、先輩の家に転がり込みました。

そこでは、家出した何人かの少年少女がいて、シンナーをしている者や家の奥で覚せい剤をしている先輩らの姿がありました。

私は友人らに「舐められたくない。」という気持ち強く、友人らがしていたシンナーではなく、先輩がやっていた覚せい剤に手を出し、その1回ではまってしまいました。

そして覚せい剤の虜になった私は、それ以後、何も考えず覚せい剤を求め続けるようになり、自分で止めることは出来なくなっていました。

こうして、私は、覚せい剤を買うお金や遊び金欲しさに、万引きやナンバープレートを盗んだりするなどの犯罪行為に手を染めるようになりました。

しかし、それらの行為によるお金だけでは足りず、違法薬物の売買を行うようにまでなったのですが、資金繰りが大変で自分で売春もしました。

また、コカインも常用しており、次第に私の身体は違法薬物によりボロボロになり、幻覚などの中毒症状も出るようになりました。

この時の私はまだ14歳でしたが、優しく声をかけて近寄ってくる男の人がいました。

その男の人は私にとても親切で、
お金回りも良くとても良い人に見えました。

彼は、とても羽振りがよく、家出をしている私をマンションに住まわせ、数万円をお小遣いとしてくれたりしました。優しくされ、すっかりその気になった私は彼との交際をはじめたのです。

交際して少し経ったある日のことです、彼のことを「兄貴」と呼ぶ人が現れるようになりました。

幼かった私は彼のことを「親切な人」だと思っていたのですが、どうも様子がおかしいことに気がつきました。

そして彼が暴力団員であるということが分かったのです。

それまでも「暴力団みたいな感じだな」と思うことはありましたが、まさか本当に暴力団員だとは思っていませんでしたし、本人も暴力団員であるとは言いませんでした。

私は彼が暴力団であることを知った時、暴力団員だから「恐い」という気持ちもありましたが、当時は彼のことが好きであったことから暴力団であると分かった後も交際を続けたのです。

しかし、彼との交際は、緊張の連続でした。

彼はとても几帳面な性格で、電話にすぐに出ないと怒るし、部屋がキレイに整理整頓されていなければ怒ると言った具合に、些細なことで怒るのです。
でも今思えばこれらの態度は、暴力団特有の異様さだったのだと思います。

時には、本当に些細な事で彼の逆鱗に触れてしまい、人が大勢いる路上で髪を持たれながら、引きづりまわされることもありました。

そんなある日のことです。
突然彼から「警察に逮捕されたからすぐ逃げろ」と連絡が入りました。

前々から彼に「何かあったらすぐ連絡する、その時は逃げろ。」と言われていたので、私は彼の指示通りに着の身着のままで逃げましたが、結局は警察に捕まってしまったのです。

そして私が警察署に留置されている時、彼の組の関係者と言う者が現れ、私に「今までの生活費として数百万円を払え」と請求してきたのです。

私は純粋に彼が好きで交際をしていたのですが、彼と彼の暴力団組織は14歳の私にお金を要求してきたのです。

それまで、マンションをあてがわれ数万円の小遣いを貰ったりしていましたが、それらは全て彼の好意と思っていた私にとって、これまでのお金を請求してくるなど、本当に驚きました。

そしてこの時「暴力団は怖い」とその恐ろしさを知ったのです。

この時は、警察が間に入ってくれ暴力団からの不当な要求への支払いはありませんでしたが、暴力団は本当に恐ろしいと思いました。

結局私は、その時の事件で初めて少年院に入ることになり、16歳の時に退院しました。

私は気持ちを新たにして生活も一新するため、それまで住んでいた場所を離れ、ある県に生活の場所を移し再スタートをすることになったのです。

生活の場所を移してから暫くは、悪い友達とも離れため、気持ちを入れ替えて高校生活を送ることができました。
しかし、その生活も長くは続きませんでした。

ある時にちょっとした誘惑に負けてしまい再び覚せい剤に溺れることとなりました。

そして今度は、以前にも増し覚せい剤に溺れて密売もすることになりました。

覚せい剤の密売には当然暴力団との付き合いもあります。
この時も暴力団は大きな力を持っていました。

そして、19歳の時に再び逮捕され2度目の少年院送りとなりました。

私は少年院の中でひたすら孤独な日々を過ごしていたのですが、この時の少年院で、2人の刑務官にかけられたある言葉が、私の人生を大きく変えました。

1人の刑務官からは、「お前が覚せい剤中毒で死んでも構わないが、お前が売った覚せい剤で、相手やその家族の人生を狂わせ、お前は金を儲けている。その責任をどうするんだ。」と言われたのです。

これまでも、同じことを言う刑務官はいましたが、この時の刑務官のように本気で私に語る人はいませんでした。

私はこの刑務官の「本気の言葉」が胸に響き、これまでの自分勝手な行動を反省しました。

また、もう1人の女性刑務官からは、「もう一回やり直そうね。」とたった一言だけ言われました。

私は、「まだ見捨てないでくれた人がいたんだ。」と思うと急に胸の奥から熱い思いが湧き上がり、「今度こそやり直そう。」と決心することが出来たのです。

そして、その時私は心の底から変わり、今度こそ真っ当に生きていこうと誓ったのです。

今の私は、若い人達が私と同じような過ちを二度と繰り返さないような活動を続けなから、平凡ではありますが普通の生活をしております。

幼かった私に優しかった暴力団は、ただ私を手なずけるために優しくしていただけでしたが、ひとたび牙を向くと、手の平を返したように、未成年の私に数百万のお金を請求してくるなど、本当に恐ろしく、近寄ってはいけない存在であったのです。

そして薬物の影にも、必ずといって良いほど暴力団の存在があり、何も分からない未成年者は絶対に近寄ってはいけない存在であると思います。

以上の体験談が世間に伝えられ、青少年が暴力団や覚せい剤等の違法薬物を使用しないよう役立てられたら嬉しく思います。

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